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ヤドリギ

遺書代わりのメモ

人生の終わりが近くなって、ようやく「常連も悪くないな」と思うようになった

雑記

長らくいろいろな地域を回って、話をして、人をつなげて、みたいな生活をしてきたので、特定の地域にある特定の店に何度も通うようなことが少なかった影響で、たまにちょっとだけ長い期間留まった地域で、飯を食いに行ったときに「毎度ありがとうございます」みたいなことを言われるのが照れくさかった。

本当にずっと、一期一会な生活を送っていたので「あ、この人またサバ味噌煮定食を注文している」みたいな認識をもたれることは慣れていなかったし、心を見透かされている気がして、一種の「敗北」みたいな感情すら抱く時もあった。

しかし、今はもう仕事の量はすっかりと減り、身体がいうことを利かなくなったときのために終の棲家として東京に住んで数年。おそらく、人生の中で一番長い期間同じ街に住むようになったのだが、ようやく「常連」扱いの良さみたいなものがわかるようになった。

お店に入れば、「お、また来たね」という顔で出迎えてもらえる。特に飲む酒や食べるものの定番はないが、好みは覚えてもらえているので「今日は○○にするかい?」みたいな提案をもらいつつ、そのまま注文したり違うものを頼んだりする。何も考えなくても好きなものを飲み、食べることができ、また行こうとなる。今までにない飲食店の楽しみ方を満喫している。

私は勘違いしていた。常連ってうざい存在かなぁと思っていたけど、お店からすれば何度も足を運んでもらえることはこの上ない喜びで、その人が良い人であればあるほど、「また来て欲しい」と思ってもらえる。店にとっては自分達の店が認めてもらえているという喜びを、客にとっては店に求められているという喜びが得られるのが、常連というものなのだろう。

良い常連は、良い雰囲気を作ることができる。それがまた新しい常連さんを作って…のループが、きっと私が1度だけ訪れていた店にもあったのだろう。思えば、気さくに話しかけてくる常連さんがいた店は、一見さんお断りのような雰囲気のお店に入って「しまったな」と思う私を安心させてくれたものだった。

私は、いままさに初めて入ってきた客にとってそんな存在になれているだろうか。厳しい世界ばかり見てきた私の話は、耳障りの良いものになっているだろうか。最近はそんなことばかり考える。雰囲気を壊さないように、この店がいつまでも続くように…

なんだかなぁ。若い時分に見た大ベテランのふとした弱さ、少しわかってきたわ。