ヤドリギ

遺書代わりのメモ

前言撤回や心変わりなんてバンバンやればいいし、ブレまくればいい

それなりに長い人生を生きてきた中で、恥ずかしながらブレなかったことはほとんどない。黒いと信じていたものが白いとわかったらすぐに「これは白です」と前言撤回したり、お金では買えないものがあると言っていたと思ったら、次の日にはお金で何でも買うことができると方針を切り替えたり、そんなことは日常的にやってきた。

私は、そういった行為を「考えを改める」とか「過ちを認めて反省する」と表現していて、たぶん自分の周りの人間もそんなことを言っていたと思うのだけれど、現代社会では考えを変えることを「ブレる」と表現するようだ。そして、結構マイナスの意味で捉えられていることが多いこともわかっている。

若手の伸び盛りの人たちがこの雰囲気の中で生きるのって、結構大変だろうなぁと思う。若い時には失敗したほうが良いよと言われる一方で、考えややり方を変えないことを「ブレない、素晴らしい」と褒められるというのは、気持ちの悪いものだろうなと。自分が信じていたことが間違っていたことを知るのも、失敗のうちの一つだというのに。

このごろは、それに加えて「謝ったら死ぬ病」という病も深刻化しているという話を聞く。謝ったら負け、謝ることはプライドが許さない、どうして自分以下の人間に頭を下げなければならないのか…そんな感じで、謝れない若者が増えているそうだ。言われてみると確かに、謝るのがヘタだなぁ、と思える若者を見る機会は、昔に比べて増えている気はする。この辺りにも、ブレることへの恐れがあるのだろうか。

誤解されているけど、考えを改めること、ブレることって、悪いことじゃないですよ。だって、消費税増税しかあり得ないと叫んでいた人が「やっぱり増税ってクソだわ」と言ったら、そのブレを歓迎する人は多いでしょう。あとは、体罰容認派が「体罰では強くならない」と改心した時に「ブレるな!もっと殴れ!」と文句を言う人はいないでしょう(いそうな気もするけど)。

なので、若かろうが歳を取ろうが前言撤回や心変わりなんてバンバンすればいいし、ブレたと言われても「うるさい黙れ」と一蹴すれば良いんです。というか、ブレる、という表現をマイナスに捉えないことが大事です。

考えを変えることって怖いし、自分が信じていたことを間違っていたと認めることは歳を取るほど精神的なダメージは大きくなります。でも、持たなくていい重荷は早めに捨てたほうが楽になるので、朝令暮改のごとく考え方はコロコロと変えてしまいましょう。それが、自身の成長につながります。